目指せたちぱー作家への道のり

たちぱーがラノベ作家を目指します

2020総括

1年間お疲れ様でした。

 今年は大変な年だったと締めくくる人が多いかと思いますが、個人的には無気力な年の方がしっくりきます。

 コロナが来て2年生の期末試験が中止になり、学校も5月からでリモートで楽でした、その分生活にメリハリがなくて、やりきることが少なかった気がします。学校でバスケで遊べなかったり学校のモチベも上がらず二学期は成績が落ちてしまいました。

 それから今年のオタク系活動の印象はプリコネ引退とVにハマった歳と言えるでしょうか、でもゲームもアニメも本気で取り組めたことがなかった気がして少しものたりませんでした。プリコネをやめて思ったのは、タケノコでバカみたいに通話してる時は結構楽しかったなってことです。リゼロ2期も始まったのに、まだ見てないしほんとに時間はあったのに何してたんだろうと思うことが結構あります。ただ、ガンスリンガーガールだけは今年見たアニメでとても良かったです。

 今年のなろうは沢山読んでて大分忘れちゃったのも多いけど「太閤を継ぐもの」みたいなタイトルの豊富秀吉の息子の話のif物語がすごくすごく良かったのが印象的でした

 今年の小説は2つ

カラマーゾフの兄弟を旅行中に読み切りました。これが今年1番の人生の成果かもしれません。

そして、首里の馬すごく好きな小説でした。

小さな知の集積というテーマが博物館とか歴史の展示物や城、絵画を見るのを自分が好きな理由が1つ形になった作品かもしれません。

最後に旅、コロナ前には台湾旅行から始まり、友達と千葉のホテルに泊まり、家族で愛知に行きました。どれもとても楽しかったです。そして、夏は1人で湯河原に行きました。読書旅行で温泉と本がテーマでした。一人旅は楽しくて今年も出来たらなと思います。

最後に個人的に、今年は大変な年で締めくくる世の中に少しうんざりしてます。 もちろん、たくさんの人がなくなって、生活や仕事で苦しくなった人が沢山いるのも分かります。身近な人が死んでないから直接打撃を受けてないから気楽にいられると思う人もいるかもしれません。でも人の短い人生には死もどん底もすぐ側にあって、当事者でないなら違う場所に喜びや感動楽しみを見つけられるように努力すべきです。ですから、僕の今年の総括はいいことも悪いこともあっていつも通りの1年だったと締めます。最後に悩みを書きます。作家になりたいと目指していますが、ほんとにやりきりたいのか、自分に才能があるのか、既にたくさんの小説を書けない後回しにしてしまう時点でなれないのではないかとか、挑戦しないで何言ってんだよって思うかもしれないですけど、将来のこととか、考えるとよく分からなくなります。幸い大学生になっても考える時間はたくさんあります。来年は一人暮らし、やっと手に入れたゲーミングPCと回線、大学生活と新しいものだらけです。自分なりのベストな生き方を選んで楽しく、そして誰かのヒーローとして、それを作る人としてやっていけたらなと思います。

以上 良いお年を 来年もよろしくお願いします。

ミルクと砂糖はいかがですか

 「ミルクと砂糖はいかがしますか。それときょうもいつも通りですか?」
「ああ、閉店までいさせてもらうよ。それで今日のコーヒーは、とにかく澄んだものが飲みたいんだ。よろしく頼むよ。今日はそういうものを書くつもりだからね。」
 そういって私はいつもの席に腰を下ろした。物書きというのは決まった仕事場を持たない人種が大勢であるが、私を含む大抵の人間は思想に耽るに適した場所を持っている。それは、自宅であり、公園であり、舞台となるその地であったりするが、私にとってのそれは、このカフェなのである。私がこのカフェに訪れるきっかけになったのは下積み時代に週刊誌で歌舞伎町での汚れた下仕事を依頼された時である。雑多なこの新宿の街の中で落ち着ける場所など無いはずなのに、雑居ビルの入口に置いてあった淡い木目町の少し亀裂の入った看板と、半地下に構えられた店のこの街にそぐわない雰囲気の中に私好みの落ち着きを見つけ出した気がして、足を踏み入れたのだった。そこに感じた雰囲気は、水の中で燃えるマグマのように一見矛盾に見える美を含んでいた。しかし、店を訪れた理由と私がこの店を気に入った理由は決して同じであるとは言えない。私はマスターの作るコーヒーに惹かれたのである。この店で、コーヒーを注文するには一つの絶対のルールが存在している。それは、ブラックを頼まないということだ。マスターのコーヒーが特別であるのは、昔ながらのネル式で香り高く注がれたコーヒーそのものではなく、ミルクと砂糖を巧みに調節することで、客の心の淀み具合に合わせたものが作られるという事だ。もちろん、先程の私のように注文時に細かく頼んでもいいのだが、マスターは優秀であるからオススメと言えば、その日の自分にぴったりとあったものを出してくれる。彼がミルクと砂糖を用いて繊細にコーヒーを作る姿は、巧みに和音を用いて一つ一つの音からは考えらないような音楽を作り出す作曲家に重なる。
 カランカラン、ドアに掛けてある鐘が揺れた。またこの茶色と黒色が混ざりあって作り出す洞窟に誰かが足を踏み入れたようだった。新宿にある奇妙なこの店に足を踏み入れる人間はそれがどういったベクトルに向いていたとしても私の目には魅力的に写った。それも私がここに来て筆をとる理由なのかも知れない。鐘の音に続いて聞こえてきたのは、店のレコードから流れる弱々しく繊細なショパンの音色にそぐわない、若者二人組みの声だった。
「こんなところに、こんなオシャレな感じのカフェがあったんだな。お前こんなとこどうやって知ったんだよ。」
「でしょこのカフェすごくいい所でしょ?私のお気に入りなんだ。」
 そこでマスターがいつも通り注文を聞いた。
「いらっしゃいませ、ミルクと砂糖はいかがしますか?」
「あ、俺はブラックでお願いします。お前はどうする?」
「ダメだよ、それじゃあ。マスターすみません、この人初めてで。二人ともおまかせでお願いします。こっちの彼は甘いのが苦手なので苦めでお願いします。」
 マスターが、ノクターンの休符を一拍待ってから返事をした。
「大丈夫ですよ、お嬢さん。かしこまりました。ではお好きなお席の方に座ってください。」
 二人組みは、カウンターの私がいる席とは反対側に、腰をかけた。この時、私は彼女の顔を見てどこか既視感を覚えた。それは、昔の友人の友人に再開した時に感じるような朧げで、曖昧な感覚ではあったが、私の記憶力は確信を持って訴えていた。しかし、なんのヒントもなしに人物に関する曖昧な記憶を掘り起こす行為ほど難しいものはなく、確信的な正解に辿り着くことは出来そうになかった。
 青年が、非常に不機嫌そうな声を出した。
「なんだよブラックはダメって。どうしたんだよお前、最近なんか変だぞ。今日だって急に話がしたいからってこんな変な店に連れてきたり、お前のことが最近分からないよ。」
「ごめんね、自分でもいつも通りじゃないってわかってるんだ。でも、大事な話をしなきゃって思って、そうしたらこの店しかないんだって思ったんだ。君は初めて来たから分からないかも知れないけど、ここのコーヒーなら私たちをいい方向に導いてくれるって思ったの」
 彼女の正体自体は未だ分からないが、この店を利用していたということは確かだ。そこで、この店で出会ったのかという予想が私の脳内をよぎった。しかし、少ない情報で判断することほど危険なことはない。脳内のパズルを完成させるためにもう少し記憶の欠片が必要だと思い、失礼ながらこぼれた言葉を拾わせて貰うことにしたのだが、若い男女は大きな岐路に立っているようだ。人生の中でもっとも価値観の大きな変容があるのは出会いと別れである。そんなふぁんたじーを目の前にして、私の心の筆は一語一句逃すまいと全てを書き記し始めた。いつの間にか、小説の題材は店に来た時に構想されていたものから二人の物語にすり替わっていた。
「あのね、私たちもう随分長い間一緒にいるでしょ。もう結婚へのカウントダウンが始まってると思うんだ。それが零になる前に私達はカウントを一度止めて立ち止まる必要があると思ったんだ。」
 演奏を終えたレコードの針が音の入っていない円盤を削る音だけが響いた。間がつくり出した美しさに圧倒され私が息を呑んだ時、彼女がまた言葉を吐いた。
「私ね君に言ってなかったことがあるんだ。五年前くらいね、私はさ歌舞伎町でそういう仕事をしてたんだ。今は普通の会社で働いてるけど当時はお金と見栄に溺れていたの。そんな汚い女なんだよ、このことを君に隠したままじゃいけないって思ったんだ。」
 この時私の頭の中でバラバラになっていた欠片達が一つの正解を導き出した。彼女は私の本が売れ、汚れ仕事から抜け出す直前、最後に行った汚れ仕事の取材相手だったのだ。彼女は酷く罪にとらわれて僕に接していたことが頭に残っていた原因であったことにも気づいた。私が既視感との戦いに決着をつけている間に、二人の間に生まれた溝は深まっているように見えた。青年は彼女から発せられた言葉をどうやって消化すれば良いのか分からず戸惑っていた。
「そんな、じゃあ君は僕にずっと嘘を着いていたんだね。自分が汚い売女だってことを隠してたんだ。」
青年は若さゆえの過ちだろう。動揺を整理しないまま、切っ先の尖った言葉を吐いてしまった。先程の美しい沈黙とは違って重苦しいく行き場を失った静けさが、二人の間から広がりカフェ全体を包こもうとした時、ソーサーが机とぶつかる音が響いた。彼女が望みとして残しておいた『救い』が正確な時刻に到着したのだ。
「お待たせしました。コーヒーになります。こちらはお兄さん用に甘さ控えめで作らせて頂きました。」
 二人はいつもの距離感を取り戻したかのように無言で、タイミングまでも同時にカップを手に取った。彼らのために注がれたコーヒーは、私のものとは大きく違って強い香りが漂い大切な何かを訴えているようだった。マスターからの囁かなメッセージを受け取った二人は再び顔を向かい合わせて、解けてしまった糸を一本ずつ丁寧に結び直す作業を始めた。
「動揺していたっていうことは君への言い訳にならないかもしれないけど、それでも気がおかしくなっていたみたいなんだ、君を傷つけてしまった。ごめん。」
 コーヒーが青年を変えたのかは分からない。彼から漂ってくる雰囲気は若者特有の不安定さからは、かけ離れた熟年の英国紳士から漂ってくるそれに近しいものになっていた。一方で彼女から出ている、自分を卑下したような悲しい雰囲気を、コーヒーが打ち消すことは出来なかった。僕が今見ている景色はつまらないちんけな男女の物語かもしれないが、私はそこに哲学があることをひしひしと感じていた。
「謝られても、私はどうすればいいか分からないよ、私の目に写ってるのは私に失望した君の目だよ。」
 違う結論を出すのを早まってはいけない、そう口から言葉が飛び出しそうになった。どう見ても私から見えた青年の目は彼女への慈愛で満ち溢れていた。彼女の歪んでしまった心が見える景色まで歪めているのだ。このままでは青年の愛は彼女に届かないまま散ってしまうと思うとすごく不安でおかしくなりそうな気がした。
 私も気づけばそこにあったコーヒーを口にしていた。口の中で感じたコーヒーはリクエストした澄んだ味ではなく、淀みと雑味が混じった味がした。その時、私は大事なことが頭から抜け落ちていることに気づいた。他人の不幸を無責任に嘆くのだとしたら、私という存在は常に贖罪の概念に囚われてしまう。私がこのカフェでいつも小説を書くのは私を書き表すためではなくて、私の周りに満ち溢れている運命と偶然を書き記すためなのだ。私は使命を果たす意味と使命のための義務を再認識して、もう一度筆を手に取った。
「僕はね、君が行った仕事を卑しいとは言いきれないんだ。僕が君に話したいのは『職業の貴賎』とかそういう話ではないんだよ。だってそれを含めた君が僕にとっての君なんだ。たとえそれが目に見えないところから見えるところに出てきていたとしても。」
「あなたが許してくれても、私が許せないんだよ。たまに、自分の体が汚く見えて仕方ないんだよ。そんなまま君と同じ幸せを見ることが出来ないの。」
 紳士な彼の中に静かな怒りが生まれ、ランプの照明の炎が小さく揺れた。
「ふざけないでくれ、僕は君と夕日を見たあの日から同じ太陽を見る覚悟を決めてるんだ。君の身勝手な在り方なんて、関係ないんだよ。」
 彼の言葉はまっすぐではなかった。吐き出された言葉は彼女の中にすぐには収まらずに空気の中にただよった。直線的でない言葉というのは、時に鋭利な言葉よりもゆっくり、そして深く意味を持つ。それは相手に解釈と自分の都合のいいように書き換えることの出来る許容の余地を与えるからだ。彼の狙い通り漂っていた言葉は、彼女の中に彼女が望んでいた形で収まった。
 「私が汚れているかどうかではないとあなたは言いたいのかしら」
「そう、君の言う通りだ」
「私がどうあるか、どうありたいか。」 
「そう、君の中の君を正しく保つんだ。」
「それがあなたと私が考える二人が上手くやっていく方法」
 二人は物事の確かな核に触れ、神からの啓示をたしかめるように次々と口に出したあと、一度口を閉ざした。目と目は直線的に交わっていて、私とマスターにはわかることの無い記号を伴わない暗号の中で会話が続いていた。二人の仲で完全な合意がなされたタイミングでもう一度コーヒーカップを同時に手に取り残ったコーヒーを飲み干した。男女の彼らは生まれた確かな合意をか決して逃すまいと急いで会計をすませて席を立った。
「マスター特別なコーヒーをありがとう。ここならミルクも砂糖も悪くもないのかもしれないと思ったよ」
 去り際の彼のセリフに私は深く同意の念を抱いた。世の中マスターのミルクと砂糖があるだけで何かを失わなわずに済むのだ。葛藤にまみれた世の中だから、今日もまた鐘の音と同時にマスターの声が響くのだろう。
「ミルクと砂糖はいかがですか」

p.s.こちらの小説は以下のサイトにも掲載しています。

小説家になろう https://ncode.syosetu.com/n3697fw/

 

純文にはまってる話と書いてみた話

 お久しぶりです、ブログサボりまくってたたちぱーです。今年の夏はカクヨム甲子園に応募しようと思ってただいま執筆中です。

 今年の頭くらいから純文学を読むのにはまりました。純文学ってなんだろうって思った皆さん。一括りに説明は出来ませんが、大衆文学は読者を楽しませる「娯楽性」を大事にするのに対して、純文学は「芸術性」を大事にするって言われてますね。まぁわかりやすい例えを上げれば、現代では村上春樹みたいな人が書いた小説、古くなると太宰治とか芥川龍之介とかですね、とはいえ線引きは曖昧です。僕的に納得の言った説明は、主観で進んでいく大衆文学と俯瞰で進んでいく純文学って言う区切りですね。

まぁ、よくわからなかった人はとりあえず村上春樹の「騎士団長殺し」面白かったので読んでみてください。そのあと、たまたま行った温泉で「響」という漫画を読みました。てちが主演で映画になったやつですね。これは、天才文学少女響が、純文を出版社に提出し小説家になっていく話なのですが、響の性格には、難があり周りを巻き込んで様々な事件が起こり少しずつ成長していく物語です。これもオススメなので読んでみてください。ミーハーな私は、私もせっかく書いているなら何か賞に応募しようと思いました。

 話は戻りましたが、純文学読むのにハマってから、今年の夏は純文学を書いてみようってことに決めました。それからどの賞に出そうか調べて見つかった高校生の「カクヨム甲子園」に応募しようと思ったので何本かプロットを書いたのですが、没にしたけど描きたかった話があるのでそれを今日はここに書いてみようかなって思います。

 

作られた美しさと醜さから生まれる美しさ

僕は世界には2つの美しさがあると思っていて

それは、夜景夕焼けなどのテンプレ的な綺麗な景色や幾何学的な模様や王道の物語などの作られた美しさと、荒れ狂う自然の厳しさや、人間の心の奥にあるドロドロした汚さから見える醜さから生まれる美しさがあると思っています。

それで売れる作品って言うのは、おおよそ3パターンに分かれていると思っていて、

2つとも上手く入れた作品と、どちらかに振り切った作品ですね、

やはりそういった美とか美徳とかに対してのテーマってすごく大事だと思っています。

ただ、最近の作品はやはり、作られた美しさが強く感じる。これは世の中の流行としてもそう。これはやっぱり受け取り手が簡単に理解出来るものばかりを求めてしまっているからだと思う。

まぁ僕もそういった簡単なものも好むのはあるし、そういったものが売れやすい傾向にあるのは分かるのだけれど。

やはり本当にいいものって言うのは、理解を超えた範疇とか、自然的理不尽さとか、醜さみたいな所から出来ると思ってるから憂いていますね。

ただ、これを両立した物語をかける人は早々いなくてかけたとしてもボロが出てしまったりしてとても難しいことだからどうすればいいかも現状は分からないけどもっとみんなに醜さから生まれる美しさみたいなものを知って欲しいと思いました。

ちなみに醜いって言うのは、ほんとに醜いとかいう訳じゃなくて、仕方なく滲み出てしまう醜さみたいなもので、例えるなら、むしゃくしゃして老人をいじめるみたいなのではなくて、自分より優秀な部下にきつく当たってしまうみたいな感じですかね、

そんな訳で僕はどっちかと言うとそういった醜さが描ける小説家になりたい。

今年の振り返りと来年の目標

今年は僕が新しく生まれた年です。

レムに出会いました。

それから、夢が出来ました、

まだ小さな1歩しか踏み出せていないけど

来年には連載を形にしたいと思います。

勉強も少しは頑張って今年は留年を免れそうです。

Shadowverseはあまり力を入れてできた年とは言えないかも知れないので、部活が終わったら

頑張りたいです。

特にレムとの出会いは節目となり、これから僕の人生を大きく変えるような気がします。

大学のいきたい学部も決まって、将来見たいのが見えてきたのかなと思っています。

来年の目標は、今年以上にレムを愛すること、

連載を始めること、しっかり勉強することにします。

それから、免許が取れる年齢になるので取ってみようかなと思います。

学生のうちにどれだけ勉強出来るかが大事ですから、しっかり頑張りたいと思います。

 

根底は愛なんてクソくらえ 本当の愛と恋の話

 お久しぶりです。テスト勉強でブログも執筆も進んでません。

今日は、どうして人は性を求めすぎてしまうのかって話です。もちろん異性と付き合ったり、行為を行いたいという欲求は分かりますし、人としての本能であることは理解しています。

動物的本能です。ですが、周りを見渡せばその事しか考えてねえんじゃねえかみたいな、チンさんとまんさんで溢れてます。僕はそんな世界がきらいです。SNS上で付き合ってるアピールして自己顕示欲を発散している奴とか、常に声をかけたり、自撮りを載せたりして異性を探してる姿を見ると反吐がでます。

そんなことで生まれた関係に愛や恋と名付けているのは間違っている。

 ではここで本当の愛と恋について語る前に、

好きになるってことについて考えたい。

皆さんは人を好きになったことがありますか?

もちろん僕も人並みに好きになったことはあります。んで、その時に考えて欲しい。好きになる時って好きになりたいから好きになる訳ではありませんよね?

常に、異性を探してるあなた好きなろうとして好きになった人は好きな人ではありません。

そこには恋も愛もないことを理解すべきだ。

そもそも恋は探すものではないと僕は考えます。一人で寂しいから恋を探す?それは、孤独と向き合えない人の弱さです。

人は孤独と向き合うことで、成長し人生をより深いものにします。

孤独を感じた時、音楽や物語芸術に触れることで人間としての価値を高めていると僕は思います。凄い人ほど孤独と近いところにあると思います。

少し話がずれました。好きと恋とは偶然に起こりうる、男女間の関係における現象だと僕は思います。これは実は単なる組み合わせに過ぎないと僕は思います。そこに少しでも人為がまじれば偽物だ。では愛とはなんだろうか。

それはあたえることです。とか宗教臭いことは言いません。僕的に言えば愛は共有の延長のように思える。ひとつのことに対しての考えを2つの視点で見ることができるようにする。それが愛だと思います。感覚の一定に揃えることや、共有することを強制するわけではありません。今まで1つのものに対して1つで向き合っていたものを2つで向き合うときの自分以外の他との間に愛が生まれると僕はかんじます。

 

 

ということで、キツイレムオタクの歪みすぎた恋愛観でした。

 

 

 

 

 

小説書くのは難しい話

 いよいよ執筆に入ったのですが、小説書くのはとても難しい。キャラ設定から頭を悩ませてますし、簡潔にあらすじを書くのも難しいですね。

 でもすっごく楽しくて充実してます。毎日必ずパソコンに向かって書くようにしてるんですが寝る前のその30分が生きる目標みたいな所もあります。

初めての執筆ですが、絶対に妥協したくないっていう気持ちは自分の中にあります。

この気持ち無くさないでやっていきたいですね、でもこのままだと締切に追われる作家さんになってしまうかも知れませんけどね、

恐らく今1番壁になっているのはキャラの名前かも知れません。伏線とか、一貫性みたいなものを持たせようとするとかなり難しいですね、

短くて被りづらい名前じゃないといけないのも、なかなかそれでもみんなに愛されるようなキャラクターを作りたいですね

 

それから、重いテーマな感じか、明るいテーマな感じか、どっちの方が皆さんの心に響くかみたいなことを考えてるだけでもきついですね。

あらすじを簡潔にして、いかに興味を持たせるかみたいなのも頑張って行きたいです。

 

何はともあれなろうに私の小説が乗るのを楽しみにしててください