目指せたちぱー作家への道のり

たちぱーがラノベ作家を目指します

ウエハースの椅子の感想

 この本を読んでまず浮かんだ感想は、フランソワーズサガン悲しみよこんにちはにどことなく共通点を感じました。ウエハースの椅子の主人公の私は大人の女性で、悲しみよこんにちはのセシルは17歳。けれど、2人は絶望と隣り合わせで、享楽的な感情に溺れてる点がとても似通っているところが僕にそう感じさせたのかもしれません。

 江國香織の小説をそこまで沢山読んでいるでは無いのですが、「老いと死」と「恋と愛」の関係性とそれぞれについてが彼女の作品からテーマとして感じ取れます。今回もそうでした。僕は少年期、思春期あたりに年上の人と関わることが多くて、年上の女性に惹かれます。そこには老いってものがついてくるのですが本人にとっては辛いものも僕から見ると美しく見えてしまうそんな気がします。

 それにしても江國香織の文体はとても綺麗で芸術的です。自身のの稚拙な文章が嫌になってしまうほど中でも「世の中はどこもかしこもメッセージであふれているので私はなんだかうんざりしてしまう」という文がかなり前半で出てくるのですが、この一文に恋して一気に世界観に引き込まれました。文章の魅力もしくは魔力というのは不思議です。何の変哲もない一文に心打たれる時があるのはなぜなのでしょうか。そしてそういった一文に出会うのは奇跡的で関数的な確率だと思います。だから僕は本を読み続けられる人間でありたいと思います。そして自信でそういったものを生み出したいと思う、けれどそれはものすごく難しくてこれもまた奇跡的な発想を必要とするのかなと思います。どうしてこの一文に引かれたかと言うと、メッセージって綺麗なものや汚いもの色んなものがあって僕は結構受けやすい方でそれに疲れてしまうことがよくあるからです。それはニュースだったりふと目にした広告やツイートそういうもので悲しいものやきついもの辛いものを見ると心が影響を受けてしまうからです。

 この小説で1番心に残ったのは私と妹の恋人に対する接し方ですよね。私は疑ったら終わってしまう歪んでいて儚い恋、妹は問題をどこか先延ばしにした恋が作品では書かれています。

どこか自分と重ねてしまって少し心がぎゅっとされてしまいました。僕はいつも人の愛とか恋を疑ってしまうから私のようになりたいと思ってしまいます。けれど、恋をしたらそれにしかすがれなくて、それでも自立したい私と僕はそっくりだなと感じました。それから死ぬつもりでなくて絶望で食事を取らずに死にかけるのも僕と似てます。心のエネルギーが無くなると何もできなくなってしまうんですよね。そういう時は寝てるかなろうを読むのが僕なりの過ごし方です。それでちょっと復活したらお風呂に入ったり美味しいご飯を食べに行きます。それから美術館とか映画館とかも行きます。そういう風に心をリセットするのが僕なりのやり方ですね。

 最後に文学では永遠の愛とか終わりある恋とかよく題材に書かれます。死で結論付けられる作品が多い中でこの作品は、そこに行き着かないそこが現代日本文学らしい良さかなとか感じました。僕は今好きな人がいてまだ始まったばかりでかなり不確かかもしれないところにいます。それでも死や別れそこに行き着くんじゃなくて生ある永遠にいきつけたらなとこの本を読んで思いました。それでは!!!また!!